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京大総長が語る「2050年に求められるエリートの姿」

30年後の「エリート」とは、どんな人物なのか。未来をリードする人材のあるべき姿を追究する「就プロ」オリジナル連載、今回はゴリラ研究の世界的権威にして京都大学総長の山極壽一(やまぎわ・じゅいち)先生です。山極先生の語る、これからのエリートに求められる条件。ぜひ参考にしてみてください。

2018.03.30.Fri

30年後の「エリート」とは、どんな人物なのか。未来をリードする人材のあるべき姿を追究する「就プロ」オリジナル連載、今回はゴリラ研究の世界的権威にして京都大学総長の山極壽一(やまぎわ・じゅいち)先生です。

 

お高くとまったイメージにもなりかねない「エリート」という言葉ですが、京大の考えるエリートはいかにもユニーク。その独創性と多様性こそが、これからのエリートに求められる条件と語る山極先生のお話を2回シリーズでお届けします。

ディベートではなくダイアローグ

―学問の世界でエリートといえば、相手を論破する人というイメージです。

山極:それはまったくの誤解ですね。少なくとも京都大学では、ディベートで相手を打ち負かすだけの人物をエリートなどとは呼びません。エリートに求められるのは、ディベートではなくダイアローグ、すなわち対話です。

対話とは意見の異なる相手と話をし、お互いに一つ上のレイヤーで新たな考えに到達するための手法です。そのためには、まず相手の考えを受け入れ、かといって安易に迎合するのではなく、自分の考えも相手にわかるよう説明するプロセスを繰り返すのです。

―まさにソクラテスらとの対話を通じて、思索を深めていったプラトンの『対話篇』ですね。

山極:京大エリートの典型が今西錦司、私の先生の先生に当たる学者です。今西は、ダーウィンの進化論に対して独自の説を唱えていました。これがけしからんとオックスフォード大学出身の地質学者L・B・ホールステッドが「『今西進化論』批判の旅」と題した本を書いています。

ホールステッドは京都大学に講師として招かれ、当初は今西に対して反感のみを覚えていました。ところが、京都学派と呼ばれる、今西の弟子たちと接する中で考えを改めていきます。

なぜなら、弟子たちに加えて今西に親しい人たちまでもがみんな揃って、今西を尊敬していながらも、その考え方には必ずしも同意していない事実を目の当たりにしたからです。ホールステッドは、今西を含むこうした人物たちこそが「京都エリート」なのだと書き残しました。

―師の考えに従うだけではエリートとなり得ないという意味でしょうか。

山極:京都大学理学部では、教授を「先生」ではなく「さん」づけで呼びます。なぜなら学問の世界では、先生も弟子もなく真理を追究する者として立場は同じだからです。

弟子が、先生を追い越す研究をできないようでは学問は発展しません。だから対等の立場でダイアローグを繰り返し、新たな考えを創造する。

これが京都大学の気風であり、京都エリートの本質です。そしておそらくは、これから先の社会で求められるエリート、リーダーの本質ではないかと考えています。

ICT・AI万能社会への警鐘

―これから先の社会では、ICTやAIの進化が予想されます。

山極:情報通信技術をとめどなく発達させるのは、人間の性と言って良いでしょう。言葉を手に入れて以来、人間はこの技術を絶え間なく発達させてきました。それほどまでに言葉は便利なツールです。

言葉を使えば世界を抽象化して理解できる上に、言葉はポータブルだから他者と共有できる。言葉は科学技術と極めて相性が良いのです。けれども、言葉には二面性があることを忘れてはなりません。

―言葉の「二面性」ですか。

山極:言葉は確かに便利だけれど、言葉が身体に内面化されることは決してないのです。

人間の五感になぞらえて説明するなら、視覚と聴覚は言葉に表しやすいけれども身体化が難しく、味覚、嗅覚、触覚は言葉に表しにくいものの身体化しやすい。

その結果、何が起こったかといえば、人間は言語化しやすい視覚を偏重したのです。けれども身体性を通じた共感の大切さも理解していたから、食事や共通の活動などを通じて親密な人間関係を作り上げてきました。

―確かにICTやAIの進化は、視聴覚に密接に関わっています。

山極:視覚優位の技術を突き詰めた結果がVRでありARでしょう。ただし、バーチャルリアリティは、あくまでもバーチャルなリアリティであり、リアリティそのものではありません。にもかかわらずリアリティに近いから、つい信じてしまう。

しかも、遠く離れた見えない相手とも、いかにもつながっているような感覚だけは与えてくれます。けれども、それはあくまでも視聴覚を通じた脳のつながりであり、本来の人間関係においてもう一つの礎となっていた身体的なつながりは失われています。こうしたアンバランスな傾向を突き詰めていくとどうなるのか。将来に不安を感じます。

リーダー不在のネットワーク社会

―身体性が希薄になると、どのようなリスクが生じるのでしょうか。

山極:ネットワーク社会とは情報により、見えない相手とつながっていると簡単に錯覚させられる社会です。しかも情報は瞬時に伝わるから距離感がない。点と点だけで結ばれ、面も階層性もない関係が構築されます。そのような世界では「中心」という概念が成立しません。言い換えるならリーダー不在の世界となるのです。

―個々がフラットかつ平等に結ばれるのは良いことのようにも思えますが。

山極:個人がむき出しの状態で、ばらばらの点として存在している社会の恐ろしさは、容易には理解できないかもしれません。

そこで考えてほしいのは、人間がこれまでずっと家族を作り、共同体を作り、会社などの組織を作ってきた意味です。身体性を共有できる何らかのコミュニティに属することで、そうした組織に備わるフィルターが個人を守ってくれたのです。

このフィルターが失われた結果、例えば政治家は個人にダイレクトに話しかけることができるようになった。知事や一国の首相までがSNSでメッセージを発信する時代です。

その結果、今の日本に何が起こっているでしょうか。典型的な衆愚政治が横行し、倫理的に自分で考えた判断ではなく、単に好き嫌いの人気投票だけでものごとが決まっています。

―ご指摘の通り、ネット上などでは危険な徴候が出ているようです。

山極:ところが、経済を最優先するなら、今のようなネットワーク社会は実に都合が良い。

既に資本主義は暴走し始めているように思えます。今の資本主義を突き進めていった先、果たして地球は持つのでしょうか。いつまでも経済優先でやっていけるとは考えられないし、実際に一部の企業は将来に危険を感じつつある。

だからこそSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の重要性が言われるようになってきたのではないでしょうか。

未来に求められる新たなエリート

―世界を襲う危機から人類を救う、これが今後のエリートの役割ですね。

山極:その原像を、私は京都エリートに求めたい。

許容力と想像力をお互いがいかんなく発揮させて対話を繰り返す。人と人が真摯に対面してダイアローグを繰り返す中で、現状を突き抜けた発想に到達する。これこそが、京都学派が何より大切にしてきた、イノベーションを牽引する能力の源です。

大切なのは生身の「人と人」なのです。相手がバーチャルな存在では、ダイアローグは決して育まれません。

―そのようなエリートには、どのような資質が求められるのでしょうか。

山極:まず、今すぐ役に立つといった短期的なスパンだけで考えるのではなく、ものごとを長期的に捉える懐の深さが必要でしょう。私は「縮尺の法則」と表現しますが、自分の視点の縮尺を自由に変える力が欠かせません。

つまり、地球規模で俯瞰的に眺める視点で考えると同時に、自分が集中できるごく限られた範囲で徹底的に因果関係を突き詰める。これからのエリートの役割は、地球の劣化をくいとめることであり、そのためにはマクロとミクロの両方の視点を兼ね備えることが必須だと思います。

前回:自分の物差しを持ち、2050年を生き抜け【山口周】
次回:AI時代に求められる人間の生き方とは【山極壽一】

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